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千葉地方裁判所 昭和55年(ワ)294号 判決

原告

高津一男

右訴訟代理人

福田徹

高野真人

加藤晋介

被告

昭和電工株式会社

右代表者

鈴木治雄

右訴訟代理人

坂口昇

主文

一  原告の請求はいずれも棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事   実≪省略≫

理由

一請求原因1(被告の事業目的を除く)・2・3の事実及び同4の事実中昭和五三年三月二七日に原告が訴外会社へ医師の診断書を提出して復職を申し出たこと、訴外会社と組合との合意により同年五月一五日の休職期間満了時より更に一年半休職期間を延長したこと、その際原告主張の確認書記載の合意を訴外会社と組合との間でなしたこと、昭和五四年一〇月中旬から確認書記載の条件充足の有無について確認作業が行われ、この段階で原告が珠算六級、簿記三級を得ていたこと、同年一二月一日原告は被告より、「訴外会社出向を解き退職」の通知を受けたことは当事者間に争いがない。

二右争いのない事実<証拠>によれば、以下の事実が認められる。

1  原告の退職に至る経緯

原告は、昭和四五年三月一六日被告に雇用され、同社千葉工場に勤務し、同五〇年一〇月一日より被告千葉工場(アルミ製練部門)等の施設を分離独立させた訴外会社に在籍出向し、訴外会社千葉工場に勤務しその間アルミ製練工場の第二電解炉第三電解係操炉掛の職にあつた。なお、訴外会社には被告と組合間の労働協約が準用され、訴外会社の定める就業規則は被告の定めるものと同一内容である。

原告は飲酒のうえ、自家用自動車を運転して昭和五〇年一一月一五日午前一時三〇分ころ市原市市原山木入口交差点先路上において他車を追越したところ、原告の速度超過とおりから路面が降雨のため滑りやすくなつていたので、車が転回して歩道上に乗り上げ転倒するという事故を惹起した。原告は、右事故により脳挫傷、右膝部挫創兼挫傷、顔面・右手関節部・左膝部擦過創の傷害を負い、同日、白金整形外科に入院し、次いで同月二五日より千葉脳神経クリニック、同五一年二月九日からは千葉労災病院に転入院して同病院の中島正二医師が主治医となつてリハビリテーションを受けた後、同五二年五月八日に同病院を退院して自宅療養にきりかえた。原告は、千葉脳神経クリニック入院当時脳挫傷による意識障害(半昏睡)、左半身麻痺が著明であつたが、昭和五一年一月半ばには意識も回復し、リハビリテーションを主目的として千葉労災病院に入院した当時は、歩行不能、会話もほとんどできず、同病院退院時の同五二年五月八日には、歩行は可能となつたが左半身不全麻痺が残り、平衡機能は良好とはいえない状態であつた。原告は退院後郷里の福島県に帰つて回復訓練をした後千葉に戻り、昭和五三年三月二七日には中島医師が作成した同月二〇日付診断書(「脳挫傷、上記により外来経過観察中であるが経過良好であるので軽作業であれば就労可能と思われる」旨の記載がある)を提出して、訴外会社人事課長兼総務課長であつた加納征四郎に復職を申し出た。これに対し加納課長は産業医の診断が必要であると考え、右申し出に対する回答を留保し、同月二九日産業医である森谷惠医師と相談のうえ原告の身体機能テストを実施した。森谷医師が原告に対する身体機能テストを実施した結果は、会話について言語不明瞭で時間がかかり同じことを何回も言う、筆記について時間がかかつてたどたどしく字をうまく書けない、記憶力についても十分な回答ができない、計算力について三桁と一桁の数字を掛ける問題ができない、歩行について跛行がひどく、階段を降りる時は手すりを必要とする、平衡障害がある、草むしりをするにあたつて草一五本をむしるのに五分間を要するなどの状況であつたので、原告が受傷前従事していた電解炉操炉掛への復帰、一般事務職、半現業業務のいずれの職務に従事することもむずかしく総合的に判断して普通人の一―二割くらいの能力しかないとの結論を得た。同年四月一〇日、原告、森谷医師、加納課長は千葉労災病院における中島医師の後任で原告の主治医となつた渡辺攻医師を前記診断書の内容確認のため訪れたが、同医師は右診断書に記載してある軽作業が具体的にどういうものであるかは指示できないこと、原告には同月三日の脳波検査によると痙攣発作の危険性をもたらすような棘波の疑いがあり予防内服の必要があること、痙攣をおこす危険があるので高所作業、電解炉の操炉作業、自動車、クレーンの運転はさけるべきであること、原告が被告に復帰して実際にどういう職務につけるか判断するのは被告の産業医の権限の範疇であること、原告の機能回復の可能性については一般的に少ないことの意見を述べた。そこで訴外会社は前記主治医、産業医の各意見、身体機能テストの結果を総合的に判断して原告の復職及び休職期間の延長は不可能であるとの結論に達し、原告に対し昭和五三年五月一五日付で休職期間満了による退職を決定し同月一二日原告にこの旨を通知した。原告は復職を訴外会社に申し入れたのと並行し、同年四月三日から訴外会社へ復職の交渉をしてくれるよう組合に依頼し、同月二一日から組合と訴外会社との間で事務折衝が行われ、同年五月九日に組合の要求に基づき筆記、理解力、適性の各テストが原告に対して実施されたところ、結果が十分なものではなく(筆記テストにおいては、安全標準の転記(一五行)に三〇分間を要したうえ、字体も乱雑であつて清書といえるものではなく、私立中学校の入試問題を用いた算数のテスト(四五分間)では一〇〇点満点のところ三〇点であり、国家公務員初級採用試験予想問題集を用いた適性テストでは一二〇点満点のところ二六点であつた。)、また同年四月一九日再施された脳波検査によつても、棘波はみられないものの異常(徐波)がみられたため、組合としても原告の復職は困難であるとの結論に至り、同月一二日組合は訴外会社に対し原告の身分を協約だけに準拠させて解決することは困難であるが、将来にわたつてわずかでも復職の可能性が残されている以上何らかの機会を原告に対して与えるべきであるとの理由で、労働協約四三条二項に基づき一か年半の休職期間の延長等を申し入れ、交渉の結果、同月一五日訴外会社と組合との間で原告の復職に関する取扱いについて確認書及び付帯確認書がとりかわされた。その主たる内容としては、原告の機能補完のための訓練努力に最大の期待をかけて、労働協約に代えての特別措置として休職期間を一年半設定し、訴外会社はこの休職期間満了の二週間前において就労が可能かどうかの認定を行い、就労可能と認められる場合には復職させる、但し、就労が可能と認められない場合には昭和五四年一一月一五日付をもつて退職とする、就労が可能かどうかの具体的認定については、①一日実働七・五時間の勤務ができる体力を有すること、②通常人と同程度の筆記能力、会話能力、理解力を有すること、③復職時において珠算三級程度、簿記三級の資格を取得していること、もしくは、下半身の機能補完訓練によつて下半身が通常人と同程度の動作が可能であり、かつ、脳波に異常がなく珠算六級、簿記三級を取得していることなどであり、同月一七日原告も右労使間の確認について異議がない旨の書面を訴外会社に交付した。その後、原告は珠算塾、経理専門学校に通い昭和五四年一〇月二〇日ころには日本商工会議所主催の珠算五級の検定試験に、同年六月一〇日には同所主催の簿記三級の検定試験に合格し、その他水泳訓練をするなど機能の回復に努めた。

しかし、脳挫傷という傷害の性質上、これに基づく症状は、受傷後二年半も経過すると固定し、機能回復訓練によつて代替機能の向上をはかりうるにすぎないものであつて、大巾な機能回復は期待できず、渡辺医師は、原告について昭和五三年六月二日に後遺症は固定したと診断し、当時なお左側不全麻痺、失調性歩行、左側小脳機能不全による筋共同運動障害、脳波異常がみられたことから、身体障害者福祉法施行規則別表第四級に相当すると判断し、原告は同等級五級の認定を受け、身体障害者手帳の交付を受けた。

昭和五四年一〇月八日、原告より組合に対し、右確認書に基づく就労テストの実施について申し入れがなされ、同月一一日から組合と訴外会社との間で事務折衝が開始されて、同月一五日には原告の身体機能、筆記、会話、理解力の各テストが実施され、そのうち理解力をみる算数の問題については私立中学校の入試問題が、適性検査のテストには国家公務員初級職採用試験予想問題集の問題が使用された。その結果会話力についてはほぼ確認書の基準に到達しているけれども、筆記能力については安全標準の転記に他の二名の者が約一三分かかったところを原告は約三〇分要したうえ、誤字、脱落部分があり(昭和五五年四月当時なお筆記時に手の震えがみられた。)、理解力については前記算数の問題について一〇〇点満点のところを一一点で解答の記載があるのは解答欄の約半分にすぎず、前記適性検査については一二〇点満点中四〇点ということでいずれも確認書の基準に到達しておらず、下半身の機能については階段昇降、平衡感覚、上下屈伸に問題があり、訴外会社は確認書の条件をゆるめても原告の復職を考える余地はないとの結論に至り、組合としても同年一一月七日確認書に基づく復職の条件を満たしていないとの判断をなしたが、原告の残存機能を生かした職種への就労を訴外会社に要求した。訴外会社においても組合の示した具体的職務を個別に検討したが、いずれも原告を就労させることはできないとして、同年一二月一日付で休職期間満了による退職の措置をとつた。その際、組合は、原告の状態からみて他への再就職も困難と判断して被告と折衝し、被告は原告の社会復帰のため、身体障害者職業訓練所において原告が技能を修得し将来ともに自立できる職業につくことができるよう昭和五五年四月より職業訓練を修得するための期間として三年、その後の就職先がみつかるまでの期間として三年(但し、雇用保険の所定給付が受けられる六か月を除く)の間原告の生活援助金として毎月末日金六万三〇〇〇円を支給し、職業訓練修得のための準備金として金一〇万円を退職時に支給することを原告に提案したが、原告はこれを拒絶した。

以上のとおり認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない。

2 復職拒否及び退職扱いの効力について

原告は私傷病休職の場合の休職期間満了による退職もいわゆる解雇にあたるとの考えを前提としてその主張をなしているが、<証拠>によれば、労働協約、就業規則上従業員は休職期間満了までに復職しないときは解雇または退職とされ、右条項はその効力発生のために特段の意思表示が要件とされているとは解されず、また、右要件が充足された場合において会社に退職させるか否かを決定する裁量権が留保されているとも解されず、<証拠>によれば、定年退職と同様該当事実の発生によつて何らの意思表示なく雇用契約終了の効果を生ずる運用がなされてきたのであつて、右休職期間満了による退職は解雇ではなく、雇用契約の自動終了事由とみるべきものである。

(一) 昭和五三年当時の復職拒否について

前記乙第五号証の一ないし六(訴外会社の就業規則)によれば、私傷病による休職に関する五〇条四項では、休職者が復帰するにあたつては就業に差支えないことを証明する医師の診断書を提出しなければならず、この場合会社は本人の希望及び健康状況を充分考慮して職場配置すると規定されているのであるから、主治医である中島医師の診断書を提出して復職を申し出た原告に対し会社は休職事由が消滅している限り原告の復職を承認しなくてはならない。

前記1で認定した事実によれば、原告は昭和五三年三月二七日の復職申出時点においては事故当時の症状がある程度回復していたものの、原告の受傷前の職種は第二電解課第三電解係操炉掛というアルミ製錬のための高熱作業職場であり、前記1で認定した原告の回復状況では右作業に従事できるとは到底認められない。原告は復職申出当時訴外会社には臨時作業班があつたため、主治医の診断書に基づいて原告を復職させることが可能であつた旨主張するが、休職処分は従業員を職務に従事させることが不能であるかもしくは適当でない事由が生じた時に、その従業員の地位をそのままにし、職務に従事させることを禁ずる処分であるから、病気休職者が復職するための休職事由の消滅としては、原則として従前の職務を通常の程度に行える健康状態に復したときをいうものというべきところ、前記のとおり原告は右状態まで回復しておらず、前記中島医師作成の診断書は、<証拠>によれば、中島医師は、原告の機能回復、社会復帰には、軽作業による就労がより効果的であるとの考えから、会社側からの問合せ後に適職を判断する予定で作成したものであつて、同医師自身も原告が従前の職に復帰する可能性はないと判断していることが認められ、また、前記原告の負傷原因、従前の職への復帰の可能性がないことからみると、訴外会社において当初の雇用契約と異なる労働者側の労務の提供を受領しなければならない法律上の義務や、これにみあう職種の業務を見つけなければならない法律上の義務があるとは解されないので、原告の右主張は理由がない。

(二) 確認書について

原告は昭和五三年五月一五日に組合と訴外会社間で締結された確認書は労働協約四三条に違反する無効なものであると主張するのでこの点について判断する。

右確認書は組合と訴外会社間で締結されたものではあるけれどもその合意内容は、特定の個人である原告に関するものであるから、組合が原告の代理人として訴外会社と締結した契約であると解するべきである。したがつて、右確認書に労働協約に基づかない労使合意による特別の休職期間の設定であるとの記載があつても、右確認書の効力を判断するにあたつて労働協約の適用を免れることはできない。<証拠>によれば労働協約四三条三項は前記就業規則五〇条四項と同様の規定となつているが、前記のとおり、従業員の復職にあたつて訴外会社としては休職事由が消滅しているかどうかの判断をしなくてはならず、前記乙第七号証によれば、休職事由が消滅しているかどうかの具体的判断基準として、復職時において「就労が可能」であるとは訴外会社従業員の一職位としての通常の職務が介添者なしで一人前にできることをいうとなつており、復職時の職場配置についても原告の症状からは事務の職務で移動性が少なく、さらに<証拠>によればその職務内容としても事務補助的な職務への配置というものが妥当であると考えられていて、そのため事務職として最低限の条件として確認書記載の内容が定められているのであつて、前記のとおり、復職は労働者が従前の職務を通常の程度に行える状態になつたときなされるのであるから、右確認書の条件はむしろ労働協約所定の復職にあたつての判断基準を緩和しているものとみるべきであつて、原告の主張するように労働協約の内容と抵触するものであると認めることはできない。したがつて、確認書が無効であるとの原告の主張は理由がない。また、前記のとおり、訴外会社には被告の労働協約が準用され、被告と訴外会社との就業規則の内容も同一で、確認書の内容は右規定に抵触しないから、被告が確認書によつて原告を退職扱いしたことが根拠を欠くとの原告の主張は採用できない。

(三) 昭和五四年当時の復職拒否について

前記(二)認定のとおり、訴外会社と原告間でとりかわされた確認書は有効なものであり、前記1認定の事実によれば、昭和五四年一〇月一五日から実施されたテストの結果、原告は確認書の判断基準のうち、筆記能力、理解力が右基準には到底及んでおらず、昭和五四年一〇月の時点で原告には下半身の機能障害があり、機能回復も困難であるから従前の電解炉操炉掛への復職はもとより、確認書が予定している事務の職務で移動性の少ない職務への配置が可能とも認められない。また、原告は右テストの違法性を主張するが、原告に対して実施されたテストは、昭和五三年五月に原告が受けたテストと同種のものであつて、不意打ち的に困難なテストを課したものとはいえず、相当性を欠いているものとは認めがたく、原告の主張は採用できない。したがつて、昭和五四年一〇月一五日の時点で休職事由が消滅していたとの原告の主張は採用できない。

(四)  身体障害者雇用促進法について

身体障害者雇用促進法二条は、事業主が身体障害者の雇用に努めるよう定めているが、右規定は雇用主に身体障害者の雇用努力を命じた訓示規定であるから、右規定に基づいて原告に対する復職拒否の無効をいう原告の主張は理由がない。

(五)  従前の復職事例との不均衡について

原告は従前の復職事例との不均衡を主張するけれども前記のとおり、私傷病による休職期間満了の場合の退職は雇用契約の自動終了事由とみるべきものであり、その要件が充足された場合において被告に退職させるか否かについての裁量権が存しているということはできないから、この点に関する原告の主張はその根拠である具体的事実の存否を判断するまでもなく理由がない。

三結論

以上のとおりであつて、本件退職扱いの無効を前提とする原告の本訴請求は理由がないからこれを失当として棄却し、訴訟費用の負担につき民訴法八九条を適用して主文のとおり判決する。

(荒井眞治 藤村眞知子 小野洋一)

事業目録<省略>

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